選択的夫婦別姓制度の議論について

 時間がなくてなかなか更新できませんでしたが、2回目となるブログの投稿です。今回は最近SNS等で再び話題になっている選択的夫婦別姓制度について書いていこうと思います。※エビデンスに基づいて書いていますが、個人的な考えも含みますのでご了承ください。

 

1.はじめに

 まず私自身、選択的夫婦別姓制度の導入に賛成の立場です。ただ、一部の左派やフェミニストのいう「同性義務によって女性が男性に隷属物になっている」から賛成だなどと言うつもりはありません。なぜなら、結婚によって女性が「隷属する」と思うのなら結婚しなければ良い話だし、そもそも大半の人は結婚に伴い同性になることで女性が男性に隷属するなどとは思っていないからです。また、同性義務は女性にのみあるのではなく、男性が女性側の姓に変更するケース(いわゆる婿入り)もあります。

 

2.ではなぜ賛成するのか

 ではどういう理由で私が賛成しているのかというと、多様化するこの社会で選択肢を増やすためであります。この現代日本において、男性も女性も同様に社会進出するようになり、道半ばとはいえ女性が企業等の重役に就くこともクリエイティブな職に就くことも珍しくなくなってきました。そうした中、結婚して姓が変わることは社会で働く者として非常に大きな負担となっています。これは、手続き上の問題のみならず姓が変わることで仕事の関係者に再び名前を覚えてもらわなければならないなどの問題でもあり、仕事内容によっては収入にも支障を来すかもしれません。これは、近年の晩婚化や少子化等の社会課題の要因のひとつともいえます。(もちろん、晩婚化や少子化の大きな要因は非正規雇用の増加や核家族化だと理解しております。)

 

3.選択的夫婦別姓制度導入の現状

 最近出てきたように見える選択的夫婦別姓制度導入に関する議論ですが、実は80年代の後半から政治の場において度々議論されてきました。というのも、主要先進国で同性義務を定めているのは日本だけであり、1985年の女子差別撤廃条約への締結以降、国連の女子差別撤廃委員会から「日本も夫婦別姓を導入すべき」という勧告がなされるようになったからです。しかしながら、日本では既に「夫婦は同姓であるもの」という価値観が浸透しており国民の中にも反対派が多かったことや保守政党である自民党が長らく与党であったことにより制度導入には至りませんでした。また、憲法14条の法の下の平等に反するとして裁判も行われましたが、最高裁は同性義務が女性に限られないことと夫婦同姓の価値観が浸透しており同性義務には合理性があることを理由として原告側は敗訴しました。ところで、この判決が「不当判決だ」と言う者がいますが、その意見は全く的を射ていません。なぜなら、明白に不当なものでない限りは、従来の価値観の変化によって法律を変えるかどうかは主権者たる国民の議論において決めるものであり、国民の代表者でもない裁判所によって強制されるなど民主主義の否定につながるからです。さて本題に戻って、現在の選択的夫婦別姓の国民の意見がどのようになっているかを見ていきたいと思います。よく、インターネットで「夫婦別姓に賛成しているのは8割近くいる」という記事を見かけますが、よく見るとこのデータはインターネットのアンケートでとられたものであり、年齢・性別のバイアスがあると推定されるため、これを国民の総意と捉えることはできないと思います。そこで今回は法務省が行った調査結果を見ていきたいと思います。これによると、平成8年は「必ず同姓であるべきで現行のままでよい」と答えた人の割合が39.8%でしたが、平成29年の調査では29.3%まで減少していることが見えてきます。そして、平成29年の調査で「(夫婦別姓のために)法律を改正してもよい」と答えた人の割合は42.5%となっており、平成8年に比べて10%増加していることが分かりました。また、平成29年の調査では年代別でも行っており、40歳未満の世代では半数以上が、40歳以上60歳未満の世代でも半数近くが「(夫婦別姓のために)法律を改正してもよい」と答えており、これからの日本を担う世代や現役世代では選択的夫婦別姓制度導入への理解が進んできていることがうかがえます。

 

4.選択的夫婦別姓に反対派について

 賛成派の意見として「選択できるのだから、反対する人は同姓を選べばいいだけ」というものがありますが、それほど簡単に割り切れる問題ではありません。したがって、ここでは反対意見にも目を背けずに見ていこうと思います。反対派の意見として代表的なものは「家族姓(同姓)によって家族の一体性が出て、家族の絆や愛が生まれるから」というものと「別姓だと生まれてくる子がかわいそうだ」という意見があると思います。ではこれから、これら2つの意見を順に見ていきたいと思います。

 まず1つ目の意見ですが、第173回国会において出された選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願のいう「(選択的とはいえ別姓を選べるとなると)個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる。現在、家族や地域社会などの共同体の機能が損なわれ~」といった懸念が100%ないとは言い切れません。しかしながら、―私のような若輩者が家族の絆がどうだとか言う立場にないがー そもそも絆や愛が育むことができると思ったから結婚の選択肢に至るのであって、結婚したから家族の絆や愛が自動的に育まれるわけではないことは言い切れます。現に、配偶者と死別をして姓を戻したとしても義理の親と互いに支え合って暮らしている家庭もあれば、逆に結婚していても子に虐待したり配偶者に暴力を振ったりする家庭もあります。また夫婦別姓で離婚率が上がるなどと言いますが、総務省統計局のデータによると日本の離婚率が1.7%、文化的価値観が日本に近く夫婦の同姓義務はないイギリスでは1.9%となっており、さほど変わりはありません。日本人の価値観として結婚は古来からある神聖なるものと認識されがちですが、そもそも論として、現在のような同姓義務を含む婚姻制度のはじまりは明治時代からであり、それ以前は庶民や女性に姓がない上、身分の高い男性は妻が複数人いるのが当たり前でした。しかしながら、明治時代になり日本が列強の仲間入りを果たすためには「一夫多妻制は卑しく、文明国家として認めない」という当時のヨーロッパ諸国の価値観に従う必要があった上、近代国家として戸籍管理の画一化・効率化の必要性の要請、子の父が誰なのかという訴訟を減らすなど様々な要因があり生まれた制度でした。つまり、婚姻制度も同姓義務も当初は単なる国家運営の効率化と日本が列強入りするための道具としてできた制度にすぎないのです。それがいつしか、家族の絆などという道徳的なものと結びつき、あたかも古来から存在する伝統的なものとして誤認されるようになったわけです。

 そして2つ目の意見に関しては、父と母が同姓でない子供がかわいそうなどという発想自体が時代遅れだと言わざるを得ません。なぜなら、現行の制度でも国際結婚の場合は夫と妻の姓は違うわけだし、離婚した夫婦の子は父か母どちらか一方の姓になるわけであります。しかし、そうした環境にいる子供たちが全て可哀想などといえるでしょうか? いいえ、そんなはずはありません。むしろ、世間体を気にして離婚せず、ぎすぎすした家庭環境で住んでいる子供の方が日々精神的ストレスを感じて可哀想だといえます。つまり、父・母・子が同じ姓でない=可哀想な子供などというのは周囲の勝手な偏見であります。また、そうした子供は学校でいじめに遭うから可哀想などと言うのは、周囲の大人がそうした子は特殊で可哀想な存在だと認識するからこそ、子供の側も「あいつは自分たちと違った存在だ」と偏見が起きてイジメが起きるのであって、夫婦別姓がどうこうと論じる以前に偏見をなくすための議論をすべきだとつくづく感じます。

 

5.さいごに

 結論として、これからの日本を担う世代と現役世代の意見として「選択的夫婦別姓のために法律を改正しても良い」という意見が約半数ある以上は実際に法を改正する政治の場においても、国民においても積極的に議論すべきだと感じます。その際、左派においても右派においても正しい理解のもと議論を進める必要があります。かりにも「同姓義務は女性差別だ」や「同姓によって家族の絆は保たれている」などという単純で的を射ない議論になるのであれば、議論は平行線をたどり結果的に「会議は踊る、されど進まず」という具合になるのは間違いありません。長文となってしまいましたが、読者の皆様がこの問題を考える上で現状の理解の参考になったと思えていただけたのなら幸いです。

 

本記事で紹介したデータ等の参考文献

http://www.moj.go.jp/content/001271414.pdf (法務省 選択的夫婦別姓制度に関する調査)

選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願:請願の要旨:参議院

https://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2018al.pdf (総務省統計局 世界の統計)